食器。
こんにちは。
えー。今日はですね。PMSの話は書きません。
来月までは、たぶん平穏な日々なので、特に書く事がないというか・・・。
様々に取り組みはしてみますが、結果が出るのも来月だし・・・。
それまでは、徒然なるままに、色々思った事を書いていきたいとおもいます。
誰か、奇特な方が、読んでくださるといいなと思います。
今日は、食器についてです。
はじめに
前置きとして、
うちの旦那さんは転勤族です。
今日、久々に天気が良かったのでテンションがあがって、後回しにしていた子どもの写真を整理をしたんですが、そこでふと、あれ?この子にとってのふるさとってどこになるのかしら。と思いまして。
ふざけてんのかと突っ込みたくなるペースで転勤をさせる会社で、
妊娠中に転勤し、出産してからすぐに転勤し、その結果うちの子は
妊娠した場所、生んだ場所、育てている場所が全部違います。
妊娠中の写真や、生まれたばかりの子どもの写真をみながら、
家族の思い出の節目になった場所が全部バラバラで、
それぞれの場所には、おそらくもう二度と戻る事が無い、
という事実に、改めてそわそわした、損失感のような物を感じてしまったわけです。
食器
そこで先日、実家に帰った時にした、小さな発見を思い出しました。
それが本日のタイトル「食器」です。
(長いですよね。前置きが。ここまで読んでくださる方いるかしら。)
私が物心つく前から使われていた食器が、今も現役で使われているという発見です。
これって、地味にすごくないですか。
少なくとも30年以上、一つの家で同じ食器が使われ続けているということですよ。
ちょっと落としたら、粉々になるような食器が。
小さな小鉢だったり、大きなサラダボールだったり、5枚セットの2枚が割れて、別のセットの似たような2枚で代用しちゃったり、種類もバラバラで全く統一感の無い食卓を見て、私は心底安心して、温かい気持ちになったんですよね。
陶磁器が好きな母の事を、なんでただの皿にそこまでこだわるのだろうと思っていましたが、なんか理解できた気がしました。
食卓というのは、今も昔も団らんの場で、そこで使われる食器は、さながら「おじいさんの時計」のように、家族の嬉しい事も、悲しい事もみんな知っている存在なのです。
ふるさと
ちなみに私の実家がある場所は、住んでいる人の平均年齢が70歳を超えていて(多分10人位しか居ないけど)、いわゆる限界集落と言われる場所にあります。
高速道路を走っている時に、こんな場所に人住んでんの!?って山ん中に家が数軒建っていたりしますよね。その「こんな場所に人住んでんの!?」に住んでます。
一番若手だった私の両親も還暦を迎え、普通に考えればあと30年もしないうちに、ただ空き家だけがぽつぽつと残った、無人の集落になることでしょう。
そうするとやっぱり、私のふるさとも無くなってしまう訳です。
思えば昔の家族って、親がいて、いなくなったら子どもがその家や土地を受け継いで、その子達が親になったらまた子ども達が引き継いでって感じで、一本の樹みたいにずどんと構える「家」があり、親がいなくなった後でも、兄弟や親戚が集まる場所もあって、自分はここで生まれてここで育ったんだ!というふるさとってもんがはっきりしていたと思うんです。
でも今は核家族化して、子どもはたんぽぽの綿毛みたいに親元を遠く離れ、それぞれがそれぞれの場所で家庭を持って、
私のように、育った場所が山に戻る運命でなくても、親がいなくなってしまったら、帰る所は自分の家庭だけ、となる人も多いのかなと思います。
私にとってはそれが、自分にとってのルーツが途切れてしまうような気がして不安になったし、
転勤ばかりの私の子どもに至っては、
あなたにとっての、ふるさとの景色はなんですか?と聞かれた時に、どこの景色を答えればいいのかわからないんじゃないか、という不安を感じました。
それでも実家で、古ぼけて所々模様がすり切れた食器を見た時に、ちょっと安心したというか、ほっとしたんですよね。
この食器のあるところが私のふるさとだな。と。
私の家族はこれから先も、住む場所が変わるでしょう。
マンションを買う予定も、家を建てる予定も今のところないので、
最後まで借家住まいとなる可能性も高いです。
それでも、私の子どもに、そう思ってもらえる食器が欲しいな。
家族の節目には、必ず食卓の写真も撮ろう。
と、思った訳です。
まとめ
写真の整理は、一ミリも進まなかったけど、有意義な一日だったんじゃないかな。
だいたい子どもの写真て、なかなか削除できないんですよね。どんな下手なショットでも二度と見れない瞬間だと思うと踏ん切りがきかなくて・・・。
でわでは。今日はこの辺で。